目的

何事にも、「目的」を重要視してます。

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これは今読んでいる本。

これには、
知識を得る
読書そのものを楽しむ
英語を上達させる
という目的があります。
競泳の目的について、若い頃は、
オリンピックに出る
国際大会で日本代表のジャージを着る
でしたが、今は、
成長や進歩を見る
理論や仮説を実践した結果を見る
になってます。
上について結果を見るだけなら、他のスポーツや種目をやってみても良いんですが、
現役時代との比較がおもしろい要素なので、競泳で平泳ぎをやりたくなるんですよね。
各所から僕を訪ねてくれるスイマー達に指導していても、その目的を個人に合わせて考えますが、
限定された時間しか共有できないので、スイマー達にも「速く泳ぐ」や「効率的に泳ぐ」を少し細分化させた目的で会いに来てくれると、もう少し力になれるのかなと思う時があったり。
記録が停滞した時には、ベストを出さなくても良いレースを作って、普段とは違うペース配分や、心がけを試してみたりも良いでしょう。
様々なペース配分や意識を試してみないと、本当に自分に合っている泳ぎが見つからない時があるんですよね。
NCAAの短水路の200m平泳ぎで、その当時の日本記録に肉薄するタイムで泳いだんですけど、
日本にいた時は前半から飛び出す展開しかやったことがなかったのに対して、
失敗をしても良いと割り切り、前半をリラックスして泳いだ後に後半勝負をかけるレースを一度やってみた時、ようやく自分の本当のペースを見つけたんです。
それまでも200mで日本選手権の決勝には残ってましたが、本当のペースを見つけるまでに時間がかかり過ぎて、良いタイムで泳いだ時には200mを嫌いになってしまっていて、チームのために泳ぐ目的以外には、本気で泳がなくなってました。
目的を持って、失敗を前提に新しいことに試むレースは失敗にはならないと経験上思いますね。
話を読書に戻しますが、今読んでいる行動経済学の本「Misbehaving (行動経済学の逆襲)」の中に「Sunk Costs (埋没費用)」についての記述があるんですけども、
競技者生活の晩年に感じていたことを思い出させられます。
それは、自分が競泳というスポーツに向いてないってこと。
競技者としてのキャリアだけなら他のスポーツをやった方が良かっただろうと思ってました。
日本選手権の順位や、代表経験は、一つの結果で、僕の目的を達成する意味ではポジティブだったわけですが、
一定の結果を出したものが必ずしも自分にベストな選択をしたまものとは限らない。
本当に向いてるんであろう人々を何人も見ましたし。
水泳にかけてきた時間を無駄にしたくないと、更に心血を注いだ結果、オリンピアンになれず、アスリートとしての目的を達成できなくなったのかなぁと。
でも、競泳じゃなかったら、アメリカの大学から返済不要のスポーツの奨学金をもらって教育を受けることは不可能だったろうから、
当時自分にとっては、教育は競技力向上の手段だったので、目的ではなかったんですけど、
今の価値観で見れば、競泳を通して、スポーツのキャリアに勝るとも劣らない経験をさせてもらったと感じます。

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