僕にとって水泳とは、
一種の言語のようなもので、コミュニケーションの手段です。
来週28日〜29日に福岡県久留米市で開催されるアンソニー・アービン・スイムキャンプに際し、
アービン選手と合流する前に、いくつかの打ち合わせと、日本水泳水中運動学会があるので、少し早めに上京中なんですが、
先ほど、水泳を愛しているかという質問をいただき、上のように答えたんですよね。
以前、好きだとか嫌いだとか、そんな単純なものではないとこのブログで書いたことがあるんですけども、
あと数カ月で40歳を迎える今の自分には、好き嫌いを考えるより、もっと先の理解というか、
水泳は酸素のようなもので、有り難みを実感することはないですが、ないと苦しくなり死んでしまうようなもので、
水泳という言語を用いて、水泳とは無縁の様々な繋がりの中で何とか生きています。
水泳という言葉を話して、アメリカで奨学金をもらって大学に行って、
水泳という言葉を話して、ワンダーイヤーズという会社を形作って、
水泳という言葉を話して、プロのサッカーチームと仕事したり、金メダリストを地域に連れてきたり、企業の方々とコミュニケーションを取って、
競技力のアップについてのサポートやアドバイスはもちろん頑張って、望む結果を見るお手伝いをします。
ただ、プールや海で泳ぐ行為を、何らかの意味でそれ以上のものにできるはずで、そうしたいと思うんですよね。
「transcendence」という言葉が頭をぐるぐると回ります。